2025.1.11
この日は十日えびすの残り福の日だったので、まだたくさんの露店が出ていて、焼きたてメロンパンにたこやきやたいやきと、たらふく食べてしまいました。
京都ゑびす神社はもともと建仁寺の鎮守社として建てられたと言われます。
せっかくなのでお詣りをして、笹はさすがに持ち歩くのに不便なのでお札をもらってきました。

そこから少し南へ下がって東へ入ると建仁寺の南側、勅使門(ちょくしもん)に出会います。
造られたのは鎌倉時代後期。屋根は切妻造(きりづまづくり)の銅板葺きで重要文化財となっています。

普段ここは入れないので、さらに東側へまわって境内に入ります。
と、電気スクーターに乗ったひとりのお坊さんが袈裟をなびかせながら颯爽と石畳の上を滑ってきます。
お坊さんといえば、文明の利器に頼らず草鞋姿で走るように急ぐのが常という印象だったので、ちょっと驚きでした。
そう、このあとも感じたことですが、ここ建仁寺は古くても新しい、しかししっかりした信念を持ったお坊さんたちが多いように思いました。

まずは三門ですが、いわゆる三解脱門で空門(くうもん)、無相門(むそうもん)、無作門(むさくもん)といい、煩悩を離れた状態をあらわすとされます。
入母屋造(いりもやづくり)本瓦葺の二重門で、もともとは浜松市の安寧寺にあった江戸時代後期のものを大正12(1923)年に譲り受けたとのこと。
ここを通って解脱してみたかったのですが、通れないようです。
両袖に二階へ上がる階段もあるようなので、機会があれば昇りたいところです。

境内は広いです。
この日は大寒波が来ているところだったので、特に寒かった。
奥の本坊へと向かいます。

受付で拝観料を納め、中へ入りますと、思ったより広く、ゆっくり巡ると1時間はすぐ経ってしまう感じでした。
意外にも写真はOKとのことでしたが、ぜひ行って楽しんでもらいたいので極力掲載は控えます。
さて、最初に出会うのは俵屋 宗達(たわらや そうたつ)の風神雷神図屏風です。
精巧な複製画ですが、暗闇に浮かぶように演出されていて、見惚れてしまいます。

次に渡り廊下を通って法堂(はっとう)へ。

中はこんな感じで、金色の釈迦如来坐像と脇には阿難尊者(あなんそんじゃ)像と迦葉尊者(かしょうそんじゃ)像が祀られています。
この三尊像は16世紀後半に越前国(福井県)の弘祥寺からもたらされたと伝えられています。
照明がとても柔らかく投じられていて、美しいお姿です。
そして見上げれば、双龍図です。見事です。

平成14(2002)年、建仁寺開創八百年を記念して日本画家 小泉淳作氏が描いたものです。
本当に浮き出てくるような立体感を感じます。
解説によれば、もともと天井画に龍が描かれたことはなく、この画が創建以来初めてとのこと。普通は一匹の龍が多いそうですが、阿吽の龍が協力して仏法を守るという意味が込められているとされています。
写真ではなかなか伝わらないと思いますので、ぜひ肉眼で見てほしいものです。

戻って、方丈とその前庭「大雄苑(だいおうえん)」を巡ります。
方丈は安芸国(広島県)の安国寺から慶長4(1599)年に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が移築したと伝わります。(諸説あります)
一重入母屋造(いりもやづくり)で屋根は近年葺きかえられて今は「こけら葺(ぶき)」となっています。

もともとこけら葺だった屋根が瓦葺になって重くなり、昭和9(1934)年の室戸台風で方丈は倒壊。屋根をこけら葺きに戻して復旧されましたが、昭和37(1962)年の屋根の葺替では火災予防のために銅板葺に改められました。
平成22(2010)年に再び葺替の時期を迎え、火災のリスクも以前より格段に下がったことから、もとのこけら葺に戻したということです。
杮(こけら)葺…日本在来の屋根のふき方の一種。長さ約30cm、幅約10cm、厚さ1.5mm~5mmくらいの木の割板、すなわち屋根ふき用材の杮でふくもの。杮板が厚くなるに従って、栃(とち)ぶき、木賊(とくさ)ぶきという。スギ、ヒノキ、サワラ、ヒバ、クリなどが用いられる。
(ブリタニカ国際大百科事典より)
※「杮(こけら)」は「柿(かき)」とは字が異なり、つくりの縦棒を一直線で書く。


建仁寺は中国百丈山(ひゃくじょうさん)の禅刹を模したといわれています。
「大雄苑」は、その百丈山の別名「大雄峰」にちなんでいるそうです。
縁のすぐ下にはこぶし大の石が並べられ、その向こうは一面白砂を敷き詰め、あたかも波が静かに寄せてくるかのような模様がつけられています。
ここにひとり座ってたたずんでみたいなぁと思いましたが、寒くて断念…。

方丈の真ん中、室中の間の奥の仏間には、十一面観音菩薩坐像が祀られています。
これは江戸幕府二代将軍徳川秀忠の息女で後水尾天皇中宮となった東福門院(とうふくもんいん)により寄進されたものと伝わります。

この部屋は格式の高い二重折上小組格天井(にじゅうおりあげこぐみごうてんじょう)になっています。
床の中ほどは畳がなく、普通は一段高くするのかなぁと思いましたが、漆黒の板の間になっていて、空間を引き締まった感じにしていました。

思わず叩きたくなるような木魚がおかれていました。
その背後に見えるのが、海北 友松(かいほう ゆうしょう)作の襖絵「竹林七賢図(ちくりんしちけんず)」です。
海北 友松…安土桃山時代の画家。海北派の祖。近江(おうみ)の人。初め狩野派を学び、梁楷(りょうかい)などの宋元水墨画風に傾倒し、独自の気迫と情感に富む画風を完成させた。
(デジタル大辞林より)
武門に生まれ、浅井家とともに滅亡した海北家の再興を志したが果たさず、画才により名をあげた。
(マイペディアより抜粋)
竹林の七賢(ちくりんのしちけん)…中国晋代に、俗塵(ぞくじん)を避けて竹林に集まり、清談を行った七人の隠士。
(デジタル大辞林より)
友松の襖絵はほかの部屋も会わせて50枚あるそうですが、室戸台風で方丈が倒壊したときは、ちょうどお彼岸のために外していてなんとか無事だったそうです。
今はすべて掛け軸にしたうえで、厳重に保存すべく、京都国立博物館に寄託されています。
方丈にあるのは、キャノンと京都文化協会の社会貢献活動「綴(つづり)プロジェクト」による高精細デジタル複製画です。
そう言われないとわからないくらいリアルにできていますので、安心して見れますね。
ただ、本物の絵も機会があれば見たいですね。

裏の庭のほうはスリッパで下りていけるコースがあります。
クチナシの実がたくさんありました。初夏に来てみたいものです。

しばらく行くと、東陽坊(とうようぼう)があります。
もともとは豊臣秀吉が催した北野大茶会で紙屋川の土手に建てられた副席だったと案内板にあります。
中を覗くと、畳二帖ほどの小さな部屋が見えます。
お茶の世界に詳しくないですが、静かにひとり過ごすのによさげな感じです。

戻って小書院、大書院を巡ります。
建物と建物を廊下でつないでぐるぐる回れるのってほんとに好きです。
襖絵とかばかりでなく、こうした建物のつくり自体も鑑賞すると面白いですね。
枯山水の庭園は、ぜひ新緑や紅葉の季節にもう一度見たいと思いました。

ほかにもいろいろ見どころはありますが、今回はこのへんで。
<参考文献>
・「古寺巡礼 京都 建仁寺」小堀 泰厳 竹西 寛子 著 淡紅社 2008
・「古寺を巡る 建仁寺」小学館 2007


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