2024.9.23月
随分長く引っ張ってしまいましたが、やっと天守閣にやって参りました。
ともかく、美しい姿です。
屋根の緑と白壁と要所要所に施された金箔とがいいコントラストをつくっています。
屋根は銅板の瓦で覆われています。
銅は酸化して緑青(ろくしょう)をまといますが、大気が汚れているときれいにつかないとも言われますので、ここまで美しく緑青ができるのには、職人の手がかかっているものと思われます。
今の天守閣は秀吉が築城したときの初代、徳川時代の2代目に続いて昭和6年に再建された3代目となります。
3代目は第二次世界大戦を潜り抜けて、最も長寿になっています。
独立式層塔型五重五層8階建ての鉄筋鉄骨コンクリート造で総重量は1万1000トンもあるため、天守台中央部を掘り下げてベタ基礎をつくり、その上に鉄骨を立てている。天守閣と石垣の天端石(石垣の最上部の石)との間に隙間をつくり、石垣に過大な負担をかけないようにしている。
(「図説 日本の城と城下町①大阪城」北川 央 監修 創元社 2022 より要約)

入館料を払って登っていきます。近くで見ると、造りの繊細さに驚きます。
特に屋根に微妙な曲線がつけられていていて、日本の建築技術のすごさと美的センスの高さを間近に感じることができます。

階段を上がったところに古風な井戸がありますが、これが金明水井戸(きんめいすいいど)と呼ばれるもので、秀吉が水の毒気を抜くために黄金を沈めたと伝えられています。
ただ、この井戸は江戸期に造られたものとわかっていて、秀吉時代のものは別のところだったそうで、今はありません。

それでもこの矢形(やかた 井戸を覆う建物)は江戸期に造られたということで、重要文化財となっています。

こんなのもありました。
明治期に「号砲(ごうほう)」として用いられ、正午になると空砲が市内に。「お城のドン」、「お午(ひる)のドン」の名で市民に親しまれた。もともとは江戸末期に大坂天保山砲台の備砲だったもので、明治期に城内へ移されたと伝わる。
(案内板より要約)
お城のドン。今でもあるといいのに、と思います。

さて、いよいよ天守閣のなかへ入ります。が、なかは撮影禁止なので、ぜひ実際に見に行ってください。
いろんなものが展示されていて、時季によって展示物も変わるらしいです。十分な見ごたえがあって、ゆっくり見ていくと、2時間くらいかかると思います。
鎧兜や陣羽織、刀などもありますし、いろいろな古文書や掛け軸の絵、調度品など多数あります。
僕はあまり詳しくないので、(昔のひとは字がうまいなぁ)とか(こんな刀で刺されたらたまらんなぁ)とか、俗な感想ばかりが浮かんでしまいますが…。
多くの外人さんも興味深々といった感じで見入っていました。
そんななかで。ああ秀頼さん…と思わずにいられない展示もありました。
京都方広寺に今も残る問題となった鐘銘。これについて詳しく解説されていました。

ここに刻まれた文字のうち「国家安康」と「君臣豊楽」が問題となりました。
豊臣の名前は続いているのに、家康の文字は間に「安」が入って分かれているから、悪意があり呪詛だというわけで、ここのところを大阪城内の展示では「難癖をつけ…」と表現していることから、なんとなく豊臣寄りの解説だなと思いました。
豊臣側に意図があったかどうかわかりませんが、いずれにしてもこのことがきっかけで大坂冬の陣へとつながりました。
また、大阪夏の陣で淀殿・豊臣秀頼母子を自害に追い込んだとして井伊直孝が紹介されていましたが、多分に批判を含んだ解説のように僕は感じました。
もちろん僕の感情が影響しているのは確かです。秀頼は23歳で死ななければならなかったが、それはしょうがないことだったのか。
ただ、時間が経つにつれ、豊臣側に視点を置いて徳川を非難しているのではなく、このような悲劇につながる争いに対して歴史が非難しているということだろうと思うようになりました。
現に世襲をもとにした権力争いはなくなっていて、今は民主的に国の代表を選ぶこととなったのだから、悲劇の歴史への反省から今が成り立っていると考えれば、当然解説も批判的な書き方になってくるのだろうと。

それでもなにか引っ掛かります。
いえ、決して大阪城の展示の解説を批判する気はありませんし、徳川家康が英傑であることを否定するつもりもありません。
なぜ、23歳で死を決意しなければならなかったか。
秀頼さんのほかにも多くの若者が死ぬことを強いられた時代ですから、秀頼さんだけを思ってもしょうがないのですが…。
すると、もう少し考えが進みまして、自害あるいは自刃といった言葉で、自殺を正当化するような文化がこの国でずっと続いているように感じてきました。
第二次世界大戦の特攻隊も確かに散っていった若者たちは立派ですし、英霊として称えることにも異論はありません。
特攻隊という手段を採った作戦に対しては、歴史は明確に否定してきましたし、少なくとも我が国で自殺を前提とした作戦が採られることはないだろうと思います。
ただ、どこか僕らのなかには大義のために自殺をすることを美化する気持ちがなかったかどうか。それを利用する向きが多分にあったのではないか。
若者たちはもっと生きてなにかを成し遂げたいと思って死んでいったのだと思えば、国のために死ぬだとかそういったことを美化して利用するというのは否定されて当然です。
つまり、井伊直孝が淀殿・秀頼母子を自害に追い込んだのは徳川方にとっては武勲であったかもしれませんが、世の中にとっては、このような手段で解決することは否定されるべきなのだろうなと思えてきました。
よって、大阪城の展示の解説は極めて公平な立場で歴史的な悲劇を批判し、現代において同様なことが起こるのを否定するという立場で書かれていると考えてよさそうです。
僕だけ納得してすいません。

ここまでで4~5時間はかかってしまいました。
そろそろ足も限界になっていますので、今日はここまでとします。

まだまだ見てないところがたくさんあります。
次回の楽しみにとっておいて、今日は帰りましょう。
良かったです。ほんとうに。来てよかった。



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