大阪城 行ってきた!笠石銃眼を覗く。石垣のうえの銃座は生々しかった!-大阪 中央区- 2

大阪城

玉造口を入っていきます。

この入口だけ見ても、両側に巨石が配されていて見ごたえがあります。

案内板を読むと、かつて石垣のうえには多聞櫓(たもんやぐら)が建っていましたが、明治維新の動乱で焼失、その後管理した陸軍によって焼け残った玉造門も撤去され、両側の石組み以外は旧観をとどめていないのだそうです。

多聞(たもん)
城の石垣の上にある長屋風の矢倉をいい、走り櫓、多聞長屋ともいう。松永久秀が永禄年間(1558~70)大和(奈良県)多聞城に建造したことからこう呼ばれたという。
 (ブリタニカ国際大百科事典 引用)

ということは、両側の石組みは当時のままと考えてよいのでしょうか?

回り込んでみると、りっぱな石垣がありました。気になるのは左側の階段状になっているところ。

いわゆる銃座というものでしょうか。見たこともないのになぜか不思議と甦ってくるような感覚…。

(ああ、いやだ)

こんな感情さえ湧きおこる、なんとも切ない気持ちになりました。

銃を構えるつもりで覗いてみます。

夥しい数の敵兵が迫りくるのが目に浮かびます。この一角には4人分の銃座しかありません。

(火縄銃なんかで間に合うんかいな?)

敵だってひっきりなしに矢を放ったり銃を向けたりしているのでしょう。果敢に石垣をよじ登る者も次から次に続いてくるでしょう。考えるだけでぞっとします。戦闘なんて興味ないのですが、学んでおかないと安心もできない、そんな気さえしてきました。

ということで、ネット上の情報を見てみると、石垣の上に造られた銃口のことを笠石銃眼(かさいしじゅうがん)と呼ぶらしいです。

笠石(かさいし)というのは、塀や石垣のてっぺんに置く石を指します。外から見ると、小さな切り欠きのような銃眼が見えます。

狭間(さま)、つまり矢や鉄砲などを用いるための小窓の一種で、古文書には「さま石」と書かれ、一般には「石狭間」とも呼ばれるそうです。

石垣に設けられるのは珍しく、全国でもここ大阪城のほか、江戸城二条城岡山城の4つにしか見られないとのこと。

石であれば撃たれても貫通することはないでしょうから、とても頼りになる狭間だと言えそうです。

ただ、これを加工するのは大変だったと思われます。

日本は木造技術だけでなく石工の技も優れていたのだなぁと改めて感心させられます。

もし、この時代に戦闘に駆り出されていたら、僕ならば石垣の裏を要領も得ず走り回っていたことでしょう。

そんななかでも、一輪の花が咲いたりしていたら、どんなに救われたことだろうと思います。

<参考記事>
・WEBメディア 城びと「超入門! お城セミナー 第21回【構造】城内にある三角や四角の小窓って何に使うの? 東北新社 2018

コメント

タイトルとURLをコピーしました