もとは奈良 大和郡山(やまとこおりやま)にあった豊臣秀長(とよとみひでなが)の菩提を弔うための寺院。開山は大徳寺 古渓宗陳(こけいそうちん 蒲庵古渓 ほあんこけい とも)、開基は豊臣秀保*(とよとみひでやす)で文禄元年(1592)に創建。慶長4年(1599)に秀長家臣 藤堂高虎(とうどうたかとら)によって大徳寺山内に移される。昭和30年に京都府立紫野高校のグランド拡張のため、現在の地に移築。表門は慶長4年のものだが、江戸時代 文化13年(1816)に火災が発生、客殿・書院は文政年間に藤堂家により再建されたもの。客殿には奥州 伊達家からもたらされた狩野探幽筆の「黒雲龍図」の屏風が襖絵に仕立て直されている。茶室「蒲庵(ほあん)」は黒田如水(くろだじょすい)好みとされる。
寺名 大光院(だいこういん) *大徳寺塔頭寺院
宗派 臨済宗(りんざいしゅう)大徳寺派
本尊 釈迦如来
開山 古渓宗陳
開基 豊臣秀保
創建 文禄元年(1592)
大光院は、大徳寺伽藍を見学したあとなら、宗務本所辺りから西へ道を進み、左手に曲がり角が見えたら南に下りると、北大路通に出る手前西側に表門が現れる。
門を入って緑が続く庭の奥の方へと進む。
入口に入るとすぐに靴脱ぎ場があり、左手に枯山水の前庭を見ながら客殿へと上がる。中は撮影禁止だ。
客殿は庭に面して三室あり、真ん中の部屋に本尊が安置される。
向かって左上のほうに小さな釈迦如来像があり、真ん中に堂々たる姿で鎮座するのが開山の古渓宗陳の木像だ。
その左手には、柔和な表情の豊臣秀長座像があり、反対側には秀長の肖像画も見ることができる。
また、客殿は三室とも狩野探幽筆とされる襖絵が見どころだ。奥州・伊達家伝来という。惜しいかなと思ってしまったのは、屏風絵を襖に仕立てたために屏風の切れ目がそのまま襖絵を縦に引き裂くように走っていて、少々見苦しく感じてしまうところだ。ただ、探幽の絵を間近にみれるのは貴重な体験だ。
客殿を端まで進んで、ちょうど靴脱ぎ場の反対の方向には墓地がある。奥の方に秀長と藤堂高虎の五輪塔が並ぶ。
客殿の奥には茶室「蒲庵(ほあん)」がある。黒田如水好みの茶室だと案内が出ている。
窓がたくさん設えてあり、小さいながらも複雑な構造の茶室だと感じた。
蒲*(がま)の莚(むしろ)でできているという落ち天井*があり、そこに連子窓*(れんじまど)がある。
*落ち天井 他の部分より低くした天井。この下を点前座として、亭主が客よりもへりくだるという形でつかわれる場合が多い。
*蒲 ガマ科の多年草。葉は莚や簾に編むのに用いる。
*連子窓 木・竹などの細い材を縦または横に一定の間隔で取り付けた窓。
茶室へ渡る短い廊下の下には敷松葉*(しきまつば)が施されていて、美しかった。苔を保護するのだという。
*敷松葉 初冬に霜よけのために庭園に敷かれる松葉。
移築前はこの茶室の前に、黒田長政(如水の子)、加藤清正、福島正則の3人が寄進した石組があったとされ、そのため「三石(みついし)の席」とも呼ばれる。

こじんまりとした寺院だが、秀長の像は見れてよかったと思う。

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