2025.4.20
世界文化遺産。真言宗御室派の総本山。遅咲きで有名な「御室桜」は国の名勝。仁和4年(888)に宇多天皇が創建。僧房(そうぼう 僧の住まい)である御室(おむろ)を建てたことが地名の由来。国宝の本尊 阿弥陀三尊像は、これも国宝の金堂に安置される。重要文化財としては、二重の構造を持ち堂々たる風格の仁王門、清涼殿の古材を用いたとされる御影堂(みえどう)、御影堂中門、中門、五重塔、観音堂、経蔵、鐘楼、九所明神(くしょみょうじん)本殿、そのほか茶室である遼廓亭(りょうかくてい)、飛濤亭(ひとうてい)などがある。御所庭園は有料で拝観でき、大正時代の宸殿や勅使門、江戸時代の庭園、明治時代の黒書院や霊明殿(れいめいでん)を見ることができる。霊明殿には国宝の薬師如来坐像が祀られており、遠くからだが拝観できる。北西の成就山(じょうじゅさん)には縮小版の四国八十八カ所霊場として、成就山八十八カ所霊場とされるコースがある。
寺名 総本山 仁和寺
宗派 真言宗御室派
山号 大内山(おおうちやま)*御室山とも。
所在 京都府京都市右京区御室大内33
本尊 阿弥陀三尊像
開基 宇多(うだ)天皇
創建 仁和4年(888)

仁和寺のはじまり
「創建は888(はちはちはち)です。今日はそれだけでも覚えて帰ってください」
仁和寺のお坊さんが説明してくれたときにおっしゃいました。どっと笑いが起こります。

仁和4年(888)に宇多天皇が創建者となり造営を完成、年号をとって仁和寺とされました。
実はその2年前、仁和2年(886)に当時の光孝(こうこう)天皇が発願し、御所の西北にある大内山の麓に寺院の造営をはじめましたが、翌年崩御。皇位を継承した宇多天皇が父の遺志を引き継いで完成させました。
*メモ*
宇多(うだ)天皇
・平安前期の天皇で光孝(こうこう)天皇の第7皇子。
・関白 藤原基経の死後、藤原氏を抑えて関白を置かず、菅原道真を起用して政治の刷新に努めた。後世に「寛平(かんぴょう)の治(ち)」といわれる。
・在位は10年で三十一の若さで子の醍醐天皇へ譲位。
・のちに出家して法皇となる。
(参考:ブリタニカ、マイペディア、デジタル大辞泉等の各辞典)
888年は光孝天皇の一周忌御斎会(ごさいえ 天皇が僧を集めて斎食(さいじき とき)を与える法会)を催すとともに、金堂の落慶を供養した年でもありました。つまり先帝のご供養と仏法の興隆の二つを目的として創建されたとのことです。
宇多天皇は寛平9年(897)に譲位し、寛平法皇となられました。開山の祖として、また初代門跡として以後尊崇されることとなります。
室町時代に描かれた宇多法皇像では、右手に倶利伽羅剣(くりからけん)、左手に念珠を執る姿となっていますが、これは不動明王と重なるお姿ともいえ、いかに崇められていたかがわかるものとのことです。
*メモ* 倶利伽羅(くりから)
・倶利伽羅竜王の略で不動明王の化身としての竜王とされる。
・岩上で火炎に包まれた黒竜が剣に巻きついてそれをのもうとする姿として表される。
・剣は外道の智、竜は不動明王の智を表したものという。
・倶利伽羅明王、倶利伽羅不動明王とも。
(デジタル大辞泉)
「御室(おむろ)」の由来について
僧房、つまり僧の住居のことを「室(むろ)」と呼びます。
宇多法皇は仁和寺の一廓に室を造り、住まいとしました。法皇の室なので「御室(おむろ)」と呼んだことから御室御所(おむろごしょ)とされ、のちに仁和寺の別称ともなり、仁和寺とその周辺地域を御室と呼ぶようになったといいます。
また、「御室」は天皇家や宮家から出家されて仁和寺の門跡となられた方々の敬称ともなりました。
三条天皇の第四皇子である師明(もろあきら)親王は法号(ほうごう 仏門に入った者に授けられる名)を性信(しょうしん)といい、御室第二世の「大御室(おおおむろ)」と呼ばれました。
その後、白河天皇第三皇子覚行(かくぎょう)の「中御室(なかおむろ)」と続き、明治に至るまで二十八名の門跡に「御室」の称号が用いられました。
仁和寺のご本尊は、阿弥陀三尊。

仁和寺境内の一番奥に位置する金堂に安置されているのが、ご本尊の阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊です。
この三尊を本尊としたのは、当時浄土教の影響を受けていたとみられる天台宗の僧、幽仙が初代別当だったこともあったのではといわれています。
創建当初のものとされる三尊像は、なんと霊宝館で間近に見ることができます。
現在の金堂に安置されている三尊像は、江戸寛永期の再興時のものだそうです。
仁和寺の見どころ 二王門。江戸時代寛永14年~正保元年 重要文化財です。

仁和寺を訪れてまず目を引くのがこの二王門です。
知恩院三門、南禅寺三門と合わせて京都三大門のひとつとされています。
ただほかの二つが禅宗様なのに比べて、仁和寺の二王門は平安時代の伝統を継ぐ和様で落ち着いた様式だといわれます。
どのへんに違いがあるかは、素人の私にはわかりにくいのですが、言われてみれば優美な印象が感じられる気になります。

金剛力士像はなかなか迫力があります。
いずれも手を開いて人々の参拝を歓迎してくれているのだともいわれます。
「あなたの思うところをここですべて投げ出しなさい」という仕草なのだと、第五十一世門跡でいらっしゃる瀬川氏はおっしゃっています。
素通りするのはもったいない。よく観察してから入るといいと思います。

仁和寺の見どころ 美しい金堂。江戸時代寛永期 国宝です。
上の画像にあるように、金堂はとても雅びな美しさを持っています。
応仁の乱後に荒廃した仁和寺が再建されたのは、徳川三代将軍家光の時代でした。
この金堂は京都御所にあった紫宸殿(ししんでん)が下賜されたもので、屋根が瓦葺きになって西の庇が取り除かれた以外はほとんど当時の紫宸殿の外観を残しているそうです。

黒地に白のマス目模様になっているのが主に蔀戸(しとみど)という日除けのための格子状のものです。黒い部分は漆塗りが施され、金色の金具が煌びやかに映えています。国宝に相応しい荘厳さを持つ美しい建物だと思います。
金堂の中はさきほどの三尊像のほか、天燈鬼(てんとうき)、龍燈鬼(りゅうとうき)、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)、帝釈天、梵天、広目天、増長天、持国天、多聞天なども安置されています。
通常非公開ですが、公開されるときもあるので、ぜひ見てみたいと思います。
仁和寺の見どころ 御室桜。
仁和寺の御室桜は少し遅咲きで、だいだい4月20日あたりといわれますが、うっかりするとすぐ満開になってその週末までに散ってしまうという、今回のようなことになってしまいます。
本当なら、二番目の五重塔の写真などは一面の桜のなかに現れるはずです。
ただ、八重の桜は満開でしたので、かろうじて冒頭の写真が撮れました。観音堂が少し見えていると思います。
もともとは、江戸期の正保3年(1646)に観音堂が再建されたとき、そこへ花をお供えするということで桜の木を植えたことがはじまりだそうです。
御室桜がなぜ普通より背が低いのかについては、土壌が硬くて根を伸ばしにくいことにあるのだと近年になって分析されていました。
それがちょうどいい高さになっていて、約200本あるという満開の桜を自分の目の高さで見れますし、そこにメジロなどが飛んでくることもよくあるので、大変人気の見どころになっています。

左:少しだけまだ残ってくれていました。落花の風情は楽しめました。
中:八重の桜は満開でした。
右:八重の中でも薄緑の桜が咲いていました。おそらく御衣黄(ぎょいこう)という品種だそうです。
仁和寺の見どころ 観音堂・御影堂・五重塔・経蔵など。御所庭園と霊宝館は別途。
観音堂(かんのんどう) 江戸時代寛永期 重要文化財

宇多天皇の第三皇子 真寂法親王(しんじゃくほうしんのう)の枕元に弘法大師様が立たれ、「観音様を祀るお堂を建ててほしい」と懇願されたことがきっかけで創建されたと伝えられています。
平成24年から30年にかけて大修理が行われ、令和2年から毎月18日を観音縁日と定めて特別祈願と法話が執り行われています。
御影堂(みえどう) 江戸時代寛永期 重要文化財
仁和寺境内の北西にある檜皮葺(ひわだぶき)の美しいお堂です。
弘法大師空海のお像と宇多法皇像、仁和寺第2世性信親王像が祀られており、毎月21日には御影供(みえく)という法要が行われます。
昭和の屋根葺替えの際、垂木に「せいりやうでん」と墨書がありました。また蔀戸の蝉型の金具などにも御所の清涼殿のものが再利用されていることがわかりました。

経蔵(きょうぞう) 江戸時代寛永期 重要文化財

金堂の東側に建つ経蔵は通常非公開ですが、ときどき特別公開されます。
なかには一切経といって仏教経典すべてが整理して収められています。
八角輪蔵(はっかくりんぞう)という八面を持つ転輪蔵(てんりんぞう 回転式の書架)になっています。
釈迦如来像と両脇に普賢菩薩、文殊菩薩、そのほかお釈迦様のお弟子さんの像が安置されています。
五重塔(ごじゅうのとう) 江戸時代寛永期 重要文化財
高さ32.7mで、五つの屋根の大きさがあまり変わらないという江戸期の技術の高さを象徴するものとなっています。
内部は非公開ですが、ときどき外から周りを回って見れる形で公開されます。
なかには大日如来を中心に東に宝幢(ほうとう)如来、西に無量寿(むりょうじゅ)如来、南に開敷華王(かいふけおう)如来、北に天鼓雷音(てんくらいおん)如来が配置されていて、「胎蔵五仏(たいぞうごふつ)」と呼ばれており、立体曼荼羅(りったいまんだら)のひとつとされます。
柱や壁には無数の彩色画が描かれており、特にインド、中国から日本へ密教を伝えた「真言八祖(しんごんはっそ)」のなかに弘法大師様もいらっしゃるとのことでしたが、僕はみつけられませんでした。

そのほか

中門:仁王門から広い参道を5分ほど歩いてたどり着く。この門を通して向こうに見える金堂が美しく映える。仁王門と同じく和様の建物で落ち着いた形のなかにも厳かさを感じる。
勅使門:仁王門から中門へ向かう途中左手に見えてくる。宸殿等のある本坊の正式な門。檜皮葺で随所に施された彫物彫刻が美しい。
鐘楼:周囲を板だ覆う形の「袴腰式(はかまごししき)」で、規模も大きい江戸時代ならではの意匠を感じさせる。
※御所庭園や霊宝館は別途まとめます。
<参考文献>
・「令和に伝えたい仁和寺の祈り」第五十一世門跡 瀬川 大秀 集英社 2019
・「古寺巡礼 京都22 仁和寺」佐藤 令宜(仁和寺門跡)草野 満代(アナウンサー) 淡交社 2008


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