鞍馬寺の案内では、「牛若丸に兵法を授けた」と伝わる一条堀川の陰陽師だとされています。
ただ「義経記(ぎけいき)」に伝わる鬼一法眼(きいちほうげん)の話は大分印象が異なります。
十七、八とされる義経(よしつね)がなかなかの駆け引きをしながら、兵法の秘書「六韜(りくとう)」を手に入れます。
ここでは私なりの要約とはなりますが、その面白さも含めて簡単にご紹介したいと思います。
「六韜(りくとう)」の兵法とはどんなものか。
「義経記」では十六巻の書とされていますが、「六韜」とは「古代中国の兵法書で文・武・竜・虎・豹・犬の六巻六十編」からなる書です。「韜(とう)」は弓を入れる皮袋を指す言葉ですが、包むとか隠すという意味を持つので、六韜で「六つの奥義」を意味します。呂尚(りょしょう 周の政治家で太公望(たいこうぼう)とも)の著といわれます。
ちなみに「三略」は上・中・下の三巻からなり、治国平天下(ちこくへいてんか 国をうまく治め天下を平和にする)の大道から政略・戦略を説くものです。漢の高祖 劉邦(りゅうほう 前漢の初代皇帝)の功臣 張良(ちょうりょう)の師 黄石公(こうせきこう 隠者で張良に兵法を授けた老人)の著とされます。
*いずれも後人の偽書と辞書にはありますが、ここではそんなことはないことにしましょう。
さて、義経記に戻り、その兵法がどんなものかがまず描かれています。
太公望是(これ)を読みて、八尺の壁に上り、天に上る徳を得たり。
周の太公望は八尺の壁を上がって天に上る力を得ました。張良は三尺の竹に上って空を飛びます。
我が国では、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)がこの本を読んで、あくじのたかまろという賊を討ち取り、藤原利仁(ふじわらのとしひと)はこれを読んで赤頭の四郎将軍という賊を討ち取りました。その後随分と経ってから平将門(たいらのまさかど)に伝わりましたが、その性格の所為もあって朝敵(朝廷にそむく敵)となり滅ぼされていきます。いよいよ最後というとき、この本を読んでいたため、
一張の弓に八の矢を矧(は)げて、一度に是を放つに、八人の敵をば射たりけれ。
一張りの弓に八本の矢をつがえて一度に放てば、八人の敵を射殺したといいます。
その後この書は読む人がいなかったために代々天皇の宝物蔵に仕舞い込まれていましたが、一条堀川に陰陽道の法師で鬼一法眼という文武両道を備えたものがいて、天下人の祈祷をするものでもあったため、この書物を頂戴して秘蔵していました。
義経はこれを知るや、すぐさま法眼の屋敷に向かいます。その屋敷は、
京中なれども居たる所もしたたかに拵へ、四方に堀を堀りて水を湛へ、八の櫓をかいたりけり。
京の街中なのに厳重に造られ、四方に水を湛えた堀があり、物見櫓が八つもこしらえてあります。
その屋敷の前にいる少年に唐突に、「門のところに見知らぬものが来て主人に話がある、と伝えてこい」などと言いつけます。少年は、「主人は相当なご身分な方でさえも子供を代理に出して自分は会わないという傲慢なお方。あなたのような若い方にお会いすることはないでしょう」と断りますが、「主人より先に返事するとはけしからん。いいから伝えてこい」と無理やり取り次がせます。
この駆け引きは成功します。
少年から聞いた主人は、少年のいう義経の風貌、特に黄金づくりの太刀を帯びていることからただ者でないと知り、会うことにします。
そして縁側から、「この法眼に話があるというのは、武士か、それとの名もなきものか」と問うと、
御曹司門の際よりするりと出でて、「それがし申すにて候ぞ」とて、縁の上に上り給ひける。
門の影から素早く現れた義経は、「わたしが申したのですぞ」と声を上げたかと思うと、もう縁の上に上がっていました。
てっきり縁の下に畏まって座るものと思っていた法眼は、既に自分と膝を突き合わす位置に座っている若者を見て驚きます。
法眼が、弓の一張、矢の一すじでも欲しいのかと問えば、義経はそんなことぐらいで来るものかと答えます。
「誠か御坊は異朝の書、将門が傅へし六韜兵法と云ふ文、天上より賜はりて秘蔵して持ち給ふとな。其文私ならぬ物ぞ。御坊持ちたればとて、読知らずば教へ傅ふべき事もあるまじ。理を抂げてそれがしに其文見せ給へ。一日の中に読みて御辺にも知らせ教へて返さんぞ」
「中国の書、平将門に受け継がれた六韜兵法なるもの、朝廷より賜わって秘蔵しているというのは誠か?それは私有してはならぬものぞ。御坊が持っていても読めなければ人に教えることもできまいに。私にその書を見せてもらいたい。一日のうちに読み終えて、わかるように教えてから返してやるぞ」
法眼は歯ぎしりをして悔しがりますが、洛中にこれほどの狼藉者がいようとは、と相手にしないことにします。義経は、いっそのこと法眼を斬り捨ててやろうかと思いましたが、
よしよし、しかじか一字をも読まずとも、法眼は師なり、義経は弟子なり。それを背きたらんは、堅牢地神の恐もこそあれ。
まあまあ、たとえ六韜の一字をも読まずとも、今は法眼は師であり義経は弟子なのだ。それに背けば、堅牢地神(けんろうじしん 大地を守る神)の怒りにも触れるというもの、と考えなおしました。
それからというもの、義経は法眼の屋敷に昼を過ごすようになります。そこで奉公する女と知り合い、法眼に三人の娘がいることを知ります。うち二人は身分の高いお方の妻になっており、もう一人の姫に手紙を書いてみてはと女が義経を促します。
そうしてこの女の計らいで姫から返事をもらうと、義経は法眼のところへ行かず姫のところに入り浸ります。法眼は露知らず、義経の姿が見えなくなったのを喜びます。
義経の策略
人目を忍ぶほど心苦しいことはない、法眼に我々の仲を知らせようと義経がいうと、姫は父が許すまいと義経の袂にすがって泣き悲しみます。
「我は六韜に望あり。さらばそれを見せ給ひ候はんにや」
「私は六韜の書を望んでいる。ならばそれを見せてくださるか」と義経は姫にいいます。明日にでも知れればきっと義経は父に殺されると思いつつも、姫は従って父の蔵に入り、六韜の兵法書を取り出してきます。
義経は喜んで、それからというもの、昼は書写、夜は復習しながら、七月上旬から十一月十日頃には十六巻一字もあまさず覚えてしまいます。
読み終わったからには、義経は人目も気にせず姿をあちこちに現しはじめます。法眼は、
「さもあれ其男は、何故に姫が方には在るぞ」
「ともかく、あの男がなぜに姫のところにいるのだ」と怒ります。
ある家人が、姫君のところにいるのは、左馬頭(さまのかみ)義朝の若君と聞いていることを告げます。
法眼の策略
義経が義朝の子と知ったからには、法眼は考えます。落ちぶれた源氏のものが自分の屋敷に出入りしていると六波羅(ろくはら 平家一門の邸宅のある東山五条から七条の間の地を指す)に知れればろくなことはない。義経を斬ってその首を手柄に平家に差し出せば恩賞にあずかれるというもの。しかし自分は修行の身で殺生はできず。そうだ娘婿の湛海(たんかい)に斬らせよう。
その頃の湛海は世間にも有名で、腕は確かなものでした。
法眼はさっそく湛海を呼び出し、わけを話したうえでその夜に五條の天神(ごじょうのてんじん 五條天神宮で天神は天つ神を指し菅原道真公の天神ではない)に行き、義経を騙して向かわせるから斬ってほしいと頼みます。湛海は造作もないことと引受けます。
一方で義経も法眼に呼び出され、北白川の湛海というものは自分の仇であるから斬って首を持ってきてほしいと頼まれ、承諾します。
義経が姫のところに戻ってそのことを告げるや、姫は父の意図を悟って、今すぐどこへでもお逃げくださいと泣きながら訴えます。義経は、
「もとより打解け、思はず知らず候こそ迷ひもすれ、知りたりせば、しやつ奴には斬られまじ。疾くより参り候はん」
はじめから気を許して知らずにいたら迷い乱れることもあったかもしれんが、知ったからには奴なんかには斬られまい」といって出かけてゆきます。
義経 湛海 闘いの末
義経は湛海より先に五條の天神に参り、この義経に湛海を必ず討たせてくださいと祈ってから少し戻ったところにいい隠れ場所を見つけてそこで待ち伏せをすることにします。
そこへ湛海が五、六人の者を前後に歩かせながらやってきます。湛海は鬼のような姿に見えましたがよく見ると首の周りにはなにも着けておらず義経には斬りよさそうに思われました。その湛海が、
「大慈大悲の天神、願はくは聞ゆる男、湛海が手に懸けて賜べ」
「大慈大悲(だいじだいひ 広大無辺な慈悲)の天神よ、どうか評判に聞く男をこの湛海に討たせてください」と声をあげて祈るのが聞こえました。
義経はすぐにでも斬ってやろうとも思いましたが、まだこれから参拝に行こうという奴らを斬って社殿を血で汚しては神のみこころに反するのではとその場はやり過ごし、帰りを待つことにします。
さて、湛海は天神にいた僧から既に義経らしき若者が参拝を済まして帰ったことを聞き、これは取り逃がしたと引き返します。ちょうど義経が待つ辺りにきたとき、手下のひとりが待ち伏せしているかもと注意を促し、湛海が呼びかけます。
「今出川辺りから、世にも落ちぶれた源氏が来ているか」と湛海がいい終わらないまでに、
太刀打振り、わつと喚いて出で給ふ。「湛海と見るは僻事か。斯う言ふこそ義経よ」
太刀を振りかざし、わっと喚きながら出てきます。「湛海と見るが違うか。我こそが義経!」
驚いて皆が三方に散ったところを義経は斬り込んでいきます。湛海は薙刀で防戦一方でしたが薙刀は打ち落とされ、次に義経の太刀が振り下ろされると、湛海の首はもう前に落ちていました。歳は三十八でした。
義経は逃げ惑う手下をも追いかけ、湛海と生死をともにと誓ったのだろう卑怯者と声を上げながらうち二人を討ち取ります。
そうして三つの首を太刀に刺して持ち帰り、法眼の膝元に投げつけました。
「ありがとう…」と苦々しく言い残して法眼は奥へと逃げていきました。
義経は姫に暇乞いをし、名残惜しいと思いつつも山科へと去ります。
姫はそれからというもの泣き暮らし、募る思いをどうすることもできず、屋敷のものたちにもどうにも助けることができないまま、十六の若さでこの世を去りました。
大切な娘を亡くし、信頼する湛海も失い、なにかのときには大将にもなるべき義経とも仲違いしてしまった。鬼一法眼はそんな深い嘆きのなかに、もの思いにふける日々となりました。
「後悔其処に立たず」とは此事なり。唯人は幾度も情あるべきは浮世なり。
「後悔先に立たず」とはこのことである。人はどんなときも情があるべなのが浮世というもの、と締めくくられています。
<参考文献>
・「義経記」佐藤 健三 小林 弘邦 訳 平凡社 2024
・「義経記」島津久基 校訂 岩波文庫 1939


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