毘沙門堂門跡 *基本* 日光東照宮に似た建築。 -京都 山科区-

毘沙門堂門跡

2025.4.5

戦乱などのために焼失したりして荒廃していた毘沙門堂は、徳川家の寄進などもあってこの山科の地に再建されたといいます。そのためか、本堂や唐門は日光東照宮の建築様式を取り入れた鮮やかな色彩の建築になっています。春は桜、秋は紅葉の名所として地元はもちろん国内外から多くの人が訪れ、「毘沙門さん」と呼び親しまれています。
 僕もまずはと桜のいい日をねらって行ってまいりました。

毘沙門堂の北側の山のなかに毘沙門山があります。ハイキングがてら登ってきましたので、そのルートなどはYAMAPの記事をご参照ください。

諸羽山~毘沙門山~大文字山~毘沙門堂

寺名  毘沙門堂門跡 ※正式な院号寺号は安国院 出雲寺(いずもでら)とされる。
宗派  天台宗
山号  護法山(ごほうざん)
所在  京都府京都市山科区安朱稲荷山町18番地
本尊  毘沙門天
開山  宝3年(703)伝・行基

毘沙門堂 創建は飛鳥時代? 由緒のポイントを整理。

大宝3年(703) 出雲寺(いずもでら)創建

平城京に都がつくられたのが710年。奈良時代の幕開けです。

それよりも前なので飛鳥時代の末期に創建されたことになります。相当古いです。

寺伝によれば、文武(もんむ)天皇の勅願により、今の上京区の相国寺北側、賀茂川に架かる出雲路橋(いずもじばし)の近くに出雲寺として開かれたとされます。

実際に出雲路(いずもじ)という地名もあり、近辺には毘沙門町もあります。

付近からは奈良時代前期とされるが出土しているとのことで、その時代に寺院があったとみられています。

ガイドブックには書いていませんが、開山は行基(ぎょうき)と伝わります。

延暦14年(795) 伝教大師最澄(さいちょう)自刻の毘沙門天(本尊)を桓武天皇に奉献

天台宗の開祖 最澄が、比叡山延暦寺のご本尊である薬師如来を彫ったときの余材で毘沙門天をつくったとされます。平安時代のはじめのことです。

この毘沙門天を祀ってから、「毘沙門堂」と呼ばれるようになります。

建久6年(1195) 平親範(たいらのちかのり)が寺院建立

唐突感がありますが、この前に出雲寺は北岩倉に移建されたり、大原来迎院境内に仮建築されたともガイドブックにあるので、またもとの地に戻ってきたようです。鎌倉時代に入っています。

平親範は平家ゆかりの平等寺、尊重寺、護法寺を統合して旧出雲寺の地に寺院を建立し、毘沙門堂を再興したとされます。

しかしその後、度重なる戦乱で荒廃していきます。

慶長16年(1611) 天海(てんかい)大僧正が毘沙門堂再興に着手

江戸幕府を支えたとされる天台宗の僧 南光坊(なんこうぼう) 天海が出てきました。

その意志は弟子の公海(こうかい)にも引き継がれます。

寛文5年(1665) 公海が現在地(山科)に再建

現在の本殿は将軍徳川家綱(とくがわいえつな)大壇越(おおだんおつ 布施を多く出す檀家)になって竣工、公海大僧正により落慶(らっけい 工事の落成を祝う)されました。

日光東照宮の建築様式が取り入れられていて、漆塗や彩色、彫刻が施されて鮮やかな装飾になっています。

元禄6年(1693) 後西(ごさい)天皇より御所の旧殿移築

現在の霊殿(れいでん)、宸殿(しんでん)、勅使門(ちょくしもん)は御所から移築されたとのこと。

毘沙門堂は天台宗京都五箇室門跡(ごかしつもんぜき)のひとつになった。

毘沙門堂は後西天皇の皇子・公弁法親王(こうべんほっしんのう)入寺(にゅうじ 僧または住職として寺に入る)されたことにより「門跡寺院(もんぜきじいん 皇族・貴族などが出家して居住した特定の寺院)」となりました。

京都五箇室門跡は、三千院(さんぜんいん)、青蓮院(しょうれんいん)、毘沙門堂、曼殊院(まんしゅいん)、妙法院(みょうほういん)の五つです。

*メモ* 門跡(もんぜき)
・本来は、一門の祖跡の意味で祖師の法門を受継ぐ寺院または主僧をさす。
・平安時代に宇多天皇が僧となって京都仁和寺(にんなじ)に住んだことから「御門跡」と呼ぶようになった。
・以来、皇族・公家などが出家して代々入寺する寺院の寺格を示す称号となる。
・明治以後、この名称は廃されたが、私称としては認められている。

毘沙門堂 拝観 桜の季節はおすすめ

仁王門 山科に再建された当時のままの姿

まずは長い石段を登っていきます。

目につくのはこの大提灯ですね。朱塗りの門と合っていていい感じです。

金網越しですが、かなり迫力あります。

本殿 日光東照宮の建築様式を色濃く反映している鮮やかな装飾

手水で清めてから本殿へ入っていきます。

洗練された建築様式という感じです。門のところのちょんまげのような瓦が凛々しいです。鳥衾(とりぶすま)あるいは雀瓦(すずめがわら)といって鬼瓦の上に円筒状の瓦が反らせてあり、鳥が休めるようなものだそう。

冒頭にも載せましたが、建築の細やかさも色合いのセンスも素晴らしいなと思いました。

本殿へ上がってまずは御本尊 毘沙門天様を拝みます。小さい像ですが、ものすごく繊細な彫刻で、目が鋭くきりりとかっこいい感じです。

椅子が並べてあるので、ゆっくりと観ることができます。

その後は廊下を進んで霊殿、宸殿、晩翠園(ばんすいえん)へと巡ります。

霊殿の天井画、宸殿の襖絵は狩野一門の作

霊殿には阿弥陀如来が祀られています。見上げると大きな丸型の天井画に龍が描かれていて、例によってどこへ動いても目がついてきます。

宸殿襖絵も面白い工夫があって、例えば右から左へ動きながら見ていると、立体的に描いているものの構図が変わっていきます。

円山応挙(まるやまおうきょ)筆とされる杉板戸に描かれた鯉も、横から見るのと正面から見るのとで魚の見え方が変わるようになっています。

晩翠園(ばんすいえん) 自然に調和する落ち着いた庭園

かもが二羽楽しそうに水面を滑っていました。

いろんな生物が棲んでいる自然のなかの庭園なんだなと感じます。

回廊から見える景色 桜の時季は特におすすめ

ちょうど満開でした。伽藍と桜の組み合わせがとても美しいです。人もがやがやする雰囲気はなく、静かに楽しむことができました。

樹齢百年の枝垂れ桜

「樹齢百有余年」で毘沙門堂中興以来、五代目となる枝垂れ桜「毘沙門しだれ」だそうです。

反対の庭から見たところです。さっきは奥のお堂の廊下から撮りました。幹が太くて力強い感じです。

横からみた図(下にずっと人がいらっしゃったので上半分)です。枝を合わせた幅は約30mにもなります。

その他もろもろ

薬医門 写真とるならここ

薬医門

門の外に桜が垣間見える姿です。薬医門は自由に通れます。

勅使門(ちょくしもん) 厳しく閉ざされていますが、秋の名所

勅使門

元禄6年(1693)に御所より移築されたとあります。

秋の紅葉のときには色づいた落ち葉が敷きつめられた敷き紅葉が見られます。

勅使門というだけあって普段は閉ざされ、札には「帝又は勅使の上下行と当門跡の大事以外は決して開放されることはない」とあります。

不老弁財天 秀吉の母 大政所ゆかりの弁財天

大阪城、高台寺で祀られたのちに毘沙門堂へこられました。

新緑あるいは紅葉の時季は映える名所となります。

なんにしても来てよかった。春の寺院ってほんとにいいもんです。

帰りは疎水の桜と菜の花のコラボもぜひ見てください。

また来てね~ ですって。

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