画像:「鞍馬寺」 中野 玄三 中央公論美術出版 2003 より編集
鞍馬寺には御本尊の毘沙門天像のほかに様々な毘沙門天像があって、とても興味深いです。
*メモ* 毘沙門天(びしゃもんてん)
・四天王(してんのう)の一人。密教では十二天の一人。
・須弥山(しゅみせん)の第4層中腹北側に住み、北方世界を守護。
・四天王がそろっているときは多聞天(たもんてん)といい、独尊のものを毘沙門天という。
・多聞天は常に仏法の道場を守り、日夜、法を聞くのでそう呼ばれる。
・インド神話のクベーラが仏教に取り入れられたもの。
・片手に戟(げき ほこの一種で刃が股になっているもの)を持つか、宝棒(ほうぼう 先端に宝珠のついた棒。如意宝棒とも)を持つ。
・もう一方の片手には宝塔(ほうとう 仏塔のことで円筒形の塔身に方形の屋根を載せた形)を載せていることが多い。これは仏陀の教えに帰依させるため、舎利という仏陀の身体の代替を高々と奉じていることを意味する。
・宝塔は仏法以外に宝そのものを表すともいわれ、財をもたらす神としても崇められる。
・日本では七福神の一人でもあり、福徳を司る神として知られる。
・毘沙門天の管理する北方は夥しい財宝を埋蔵した土地とされ、夜叉が警護に当たっている。
・毘沙門天は夜叉のほかに羅刹(らせつ)と呼ばれる人食いの鬼も率いており、それらの王でもある。
(参考:ブリタニカ、マイペディア、デジタル大辞林等の各辞典のほか「日本仏教曼荼羅」 ベルナール・フランク著 藤原書店 2002)
鞍馬寺といえばこれ。有名な三尊像です。

鞍馬寺で最も有名と言ってもいい毘沙門天像は、脇侍として自身の妃とされる吉祥天(きっしょうてん)を左に、二人の子である善膩師童子(ぜんにしどうじ)を右に従えた形の三尊像です。
この毘沙門天像は左手を目の上にかざして遠くを見つめるような姿になっていて、北方の守護神としての役割を果たしているのがよくわかるものとされています。
毘沙門天像は約175cm、吉祥天と善膩師童子もそれぞれ約1mほどもある大きな像で、いずれも国宝です。
毘沙門天と善膩師童子は橡(とち)の木で平安時代につくられたものです。
吉祥天は檜(ひのき)の一木造(いちぼくづくり)*右手は別材 で、像内にあった書によれば、大治(だいじ)2年(1127)に重怡(じゅうい)上人などが発願して四名の仏師につくらせたことがわかりました。その前の年に鞍馬寺は火災に見舞われたたので、吉祥天像は焼失し、ただちに復興像としてつくられたものと推測されています。
三尊像はかつては本堂に安置されていましたが、今は霊宝殿で見ることができます。
敵を追い払う? 兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)

空海や最澄が唐の国から将来したとされる兜跋毘沙門天。平安京の羅城門(らじょうもん)の上に安置し、今は東寺に国宝として安置されているものが有名です。
これにならって平安京の羅城門に安置された兜跋毘沙門天をもとに日本でも次々とつくられ、鞍馬寺の兜跋毘沙門天もそのひとつです。
*メモ* 兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)
・兜跋(とばつ)というのは、およそ中国の西方あたりを示す吐蕃(とばん)を語源としていて、今のチベットのこととされている。
・他にチベット学者ロルフ・スタンの有力な説として、トルコ語のTubbat(ツバッツ)の音声表記であろうというものがある。
「Tubbatはトルコ語でトルキスタン、特にシルクロードの重要な地点の一つであったコータン王国とその首都をさす言葉であった。コータンの代々の王は自らを『神の子』と名乗り、先祖が毘沙門であるとしていた。中国の伝説によれば、742年、この地方への入口に当たる要塞が、西方からの連合軍によって中国から奪取されようとした時、毘沙門天がしかるべく祈祷されると、北東の空に黄金甲冑(かっちゅう)の巨漢の群が浮かび上り、その後で街の北門の上にこの彫像のような毘沙門天が現れたという。この出現は急ぎ描きとられ、唐帝国全土の街や寺院に安置するためその模刻が命ぜられた」(引用:「日本仏教曼荼羅」 ベルナール・フランク著 藤原書店 2002より)
・この逸話についてほか
「唐の天宝元年(742)、サラセン(西アジアのイスラム教徒をさすヨーロッパ人の呼称)の軍隊が唐の西方国境に攻めてきて安西城を囲んだとき、玄宗皇帝が不空に命じて祈らせたところ、城の北門楼上に大光明が輝き、兜跋毘沙門天が出現して、サラセンの軍隊を追い払ってくれた。そこでこの毘沙門天の像を他の国境守備隊の楼門上にも安置し、外敵の侵入に備えるようになったという」(引用:「鞍馬寺」 中野 玄三 著 中央公論美術出版 2003より)
・特徴的なのは足元で、尼藍婆(にらんば)と毘藍婆(びらんば)という二鬼を従えて地面から出てきた地天女(ちてんにょ 十二天のひとつ)に支えられている姿。
鞍馬寺の兜跋毘沙門天像は、長い外套に鎧(よろい)をまとい、頭上に冠のような兜を置いて右手に宝棒(ほうぼう 先端に宝珠のついた棒。如意宝棒とも。)を持ち、左手に宝塔(ほうとう 仏塔のことで円筒形の塔身に方形の屋根を載せた形)を載せて仁王立ちする姿です。
尼藍婆と毘藍婆はなんか悪いことをしたのでしょう。仏教で改心したとされます。
ただ、東寺で見る尼藍婆と毘藍婆は、どうも無残に毘沙門天に踏みつけられているような感じで痛々しかったです。(と、僕が感じただけですが)
鞍馬寺の兜跋毘沙門天は平安時代作で重要文化財です。
秘仏 御本尊の毘沙門天

御本尊の毘沙門天王・千手観世音菩薩・護法魔王尊は秘仏になっていて、60年に一度の丙寅の年にしか見ることはできません。
次に見れるのは、2046年とのことで、いやぁ、見れそうもありませんね。
さて、御本尊の毘沙門天さまがどんなお姿かというのは、実はいくつかの書籍に写真が掲載されているので、わかります。
左手に戟(げき)を持ち、右手は腰に着けて立つ姿で、同じポーズの像がほかにもいくつも所蔵されています。
鞍馬様ともいわれる像で、あまりほかでは見られないとのこと。
霊宝館では、鎌倉時代の凛々しい毘沙門天さまがおすすめです。

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