兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)

*メモ* 兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)
兜跋(とばつ)というのは、およそ中国の西方あたりを示す吐蕃(とばん)を語源としていて、今のチベットのこととされている。
・他にチベット学者ロルフ・スタンの有力な説として、トルコ語のTubbat(ツバッツ)の音声表記であろうというものがある。
「Tubbatはトルコ語でトルキスタン、特にシルクロードの重要な地点の一つであったコータン王国とその首都をさす言葉であった。コータンの代々の王は自らを『神の子』と名乗り、先祖が毘沙門であるとしていた。中国の伝説によれば、742年、この地方への入口に当たる要塞が、西方からの連合軍によって中国から奪取されようとした時、毘沙門天がしかるべく祈祷されると、北東の空に黄金甲冑(かっちゅう)の巨漢の群が浮かび上り、その後で街の北門の上にこの彫像のような毘沙門天が現れたという。この出現は急ぎ描きとられ、唐帝国全土の街や寺院に安置するためその模刻が命ぜられた」(引用:「日本仏教曼荼羅」 ベルナール・フランク著 藤原書店 2002より)
・この逸話についてほか
「唐の天宝元年(742)、サラセン(西アジアのイスラム教徒をさすヨーロッパ人の呼称)の軍隊が唐の西方国境に攻めてきて安西城を囲んだとき、玄宗皇帝が不空に命じて祈らせたところ、城の北門楼上に大光明が輝き、兜跋毘沙門天が出現して、サラセンの軍隊を追い払ってくれた。そこでこの毘沙門天の像を他の国境守備隊の楼門上にも安置し、外敵の侵入に備えるようになったという」(引用:「鞍馬寺」 中野 玄三 著 中央公論美術出版 2003より)
・特徴的なのは足元で、尼藍婆(にらんば)と毘藍婆(びらんば)という二鬼を従えて地面から出てきた地天女(ちてんにょ 十二天のひとつ)に支えられている姿。 

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