2025.3.23
もらったガイドブックに「鞍馬山」とあるように、ちょっとした登山と考えて行ったほうがいいでしょう。途中ケーブルカーを使ったとしても、歩いて登る距離はかなりあると思います。
山全体が祈りに満ちている感じで、とにかくお社があるところで立ち止まってお祈りをしてみましたら、えらい時間がかかってしまいました。本殿まで登れば一段落です。そこから奥の院を通って貴船神社まで行くのがおすすめのコースですね。
寺名 総本山 鞍馬寺
宗派 鞍馬弘教
山号 鞍馬山(くらまやま)
所在 京都府京都市左京区鞍馬本町1074
本尊 毘沙門天王 千手観世音菩薩 護法魔王尊 ー 三身一体尊天
開山 宝亀元年(770) 鑑禎上人(がんちょうしょうにん)
鞍馬山 おすすめのコースは貴船神社まで。

出町柳駅から「くらまゆき」に乗って約30分。終点「くらま」に着きます。

駅から少し歩けばもう入口です。向こうに朱塗りの仁王門が見えます。

仁王門の手前左手に旅館のような建物が見えてきて、いいところに建ててるなぁと思っていたら、これは昭和39年につくられた道場とのこと。写経や法話のほか、書道・華道・茶道の道場として使われているようです。聖観音像が祀られているとのこと。

さて受付でもらったコースを確認。細かくいうと、なんと41か所も見どころポイントがあります。

仁王門を入ったところに、こんなかわいらしいお地蔵様たちが…。

ざっくりではありますが、こんなコースになります。今回ケーブルは使いませんでした。いい運動にもなりますので、ぜひ徒歩で。「本殿金堂」で引き返すもよし。あるいは貴船神社まで少し森のなかを行くのもおすすめです。ゆっくり巡って全部で約2時間~3時間くらいでしょうか。
ちなみに貴船神社のところから「貴船口」駅までは京都バスがあります。歩くと約30分。
「鞍馬の火祭」で有名な由岐神社(ゆきじんじゃ)
参道を登っていく間にもいろいろと史跡があるので、面白いです。
そうしてほどなく、「鞍馬の火祭」で知られる由岐神社に着きます。
毎年10月22日に行われるこのお祭は、ご祭神が遷座されるときに地元の人々が葦(よし)の篝火(かがりび)を焚いて迎えたという故事によるものだそう。
「祭礼(さいれい)!祭礼(さいりょう)!」と掛け声をあげながら裸の男たちが松明を持って練り歩く様は迫力ありそうです。

くわしくは、こちらで。
由岐神社
鞍馬寺 牛若丸(源義経)伝説など、見どころいっぱいの「九十九折参道(つづらおりさんどう)」
近うて遠きもの 宮のべの祭。思わぬはらから、親族(しぞく)の中。鞍馬のつづらをりといふ道。…。(「枕草子」清少納言)
「つづらおり」という言葉、素敵ですね。
初めてこの言葉に出会ったのは、川端康成の「伊豆の踊り子」だったと思います。
「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじいはやさで麓から私を追って来た。」
というところは石碑にもなっていたと覚えています。
さて、鞍馬山のつづらおりに戻りまして、確かに道は長いですが見どころポイントはたくさんあります。

由岐神社の手前に護法境(ごほうきょう)という一帯があり、そのなかに魔王の滝があります。
ご本尊のひとつ、「護法魔王尊」ゆかりの場所です。

そのすぐあとに鬼一法眼社(きいちほうげんしゃ)があります。
この鳥居に石を載せる勇気は出ませんでした。
乗っている石を落とさないようにそっとくぐりました。
鬼一法眼(きいちほうげん)は京都一条に住む陰陽師(おんみょうじ)で文武の達人をいわれるひとです。所持していた兵法の秘書「六韜三略(りくとうさんりゃく)」を源義経に盗まれるという話で有名。義経はそうやって兵法を学んだとされています。
ただこの話が広まったのには鞍馬寺の積極的な布教活動によるとも言われています。
参詣者を待つばかりではなく、外へ向かって布教することを勧進(かんじん)と言い、統率する最高権力者を勧進聖(かんじんひじり)と呼びました。
鞍馬寺は数度の火災にみまわれ、再建費用を市中から調達する必要があり、そのために「糺河原(ただすのかわら)の勧進猿楽(さるがく)」を興行したことが有名です。
また、鞍馬寺の勧進聖の配下には多くの御師(おし)がいて、全国各地で毘沙門天像の刷物や「鬼一法眼兵法虎巻」を配り歩いたそうです。この鬼一法眼兵法虎巻が中国兵法の古典「六韜三略(りくとうさんりゃく)」の別名で、義経が奪って兵法の達人となり、その後平家打倒へと向かう様は、彼ら鞍馬の御師によって広められた可能性が高いとのこと。
*メモ*
源義経(みなもとのよしつね) 平安末期~鎌倉初期の武将。源義朝の九男。母は常盤(ときわ)御前。幼名 牛若丸。平治の乱後、鞍馬寺に入り、さらに奥州の藤原秀衡のもとに身を寄せる。兄 頼朝の挙兵に応じて、源義仲を討ち、次いで平氏を一の谷、屋島、壇ノ浦に破って全滅させた。のち、頼朝と不和になり、反逆を企てたが、失敗して奥州に逃れる。秀衡の死後、その子 泰衡に襲われ、衣川の館(たて)で自殺。悲劇の英雄として伝説化された。
(デジタル大辞林より)

牛若丸(義経)は、鞍馬寺の覚日和尚へ預けられ、稚児名を 遮那王 ( しゃなおう ) と称しました。
川上地蔵堂には牛若丸の守り本尊である地蔵尊が祀られ、修行のあいだに参拝したとされます。
遮那王時代に住んでいた東光坊(とうこうぼう)の跡地に義経の供養塔が建っています。
ほかにもいろいろあって飽きずにゆっくり登れる参道です。

中門を過ぎるといよいよ本殿も近いです。
その間にも巽(たつみ)の弁財天社や転法輪堂(てんぽうりんどう)などがあります。
転法輪堂については、別途まとめます。
そうそう、洗心亭という休憩所で素敵なTシャツを買いました。

色はネイビー。綿もありましたが、汗が乾きやすいポリエステルにしました。

ようやく本殿につきました。
鞍馬寺 ご本尊の毘沙門天王・千手観世音菩薩・護法魔王尊は秘仏

本殿前には金剛床(こんごうしょう)と呼ばれる前庭があって、「内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものと一体化する」というものだそう。
多くの人がひっきりなしにそのパワースポットに立つのでなかなか写真が撮りにくかったのですが、自分の番がきたのでパチリと。
前の人に倣って立ちましたが、どうも反対だったかもです。このあとの人たちはみんな本殿に向いて立っていました。

本殿内には向かって右側の建物横の入り口から入ります。御朱印なども中でお受けできます。
ご本尊の毘沙門天王・千手観世音菩薩・護法魔王尊は完全秘仏になっていて、見ることはできません。
60年に一度の丙寅の年に開扉されるということで、次回は2046年です。
御本尊の前には、きらびやかな御簾のようなものが吊られています。

これは仏教の言葉では羅網(らもう)と呼ばれるもので、珠玉を連ねた飾り網、天上界にまします天帝の宮殿に懸かる宝網で、仏殿や仏像を飾る荘厳具を指すそうです。
破邪顕正(はじゃけんしょう 邪を正すきよめ)の力、真智開眼(しんちかいげん 真実の智慧への導きめざめ)の光、大慈大悲(だいじだいひ 無碍の大慈のいつくしみ)の愛、この三つの働きを象徴する地球、太陽、月の象(かたち)のまわりに、ひとりひとりを表わす、少しずつ模様の異なる飾り板が縦横に連なって奉懸されている。
道場を荘厳すると同時に、森羅万象を包む大いなるいのちの金線で時空を超えて結ばれ生かされているいのち、あなたも私も、花も虫も鳥も菌も羅網の宝珠のひとつひとつであることを表わす。それが羅網の教えである。
(「古寺巡礼 京都14 鞍馬寺」信樂 香仁(鞍馬寺貫主)道浦 母都子(歌人) 淡交社 2007 より)

本殿前には狛犬ならぬ、阿吽(あうん)の虎がおられます。ガイドブック「くらま」によれば、虎は御本尊のなかの毘沙門天のお使いであるといわれる神獣で、毘沙門天の出現が寅の月、寅の日、寅の刻であったとのことによるそうです。

また、本殿前の見晴らしのよいところに翔雲台(しょううんだい)という場所があります。
「本尊ここに降臨ありて、はるか平安京をみそなわし給う(ご覧になるの意)」(案内板)ということで、北方守護の御本尊のお役目としてここから見守っていたというのでしょう。
ちなみにここにある板石は、かつて本殿後方より出土した平安時代の経塚(きょうづか)の蓋石だとのことです。
鞍馬寺 奥の院へ

奥の院へ向かいます。ここからは山の中を歩いていきます。

ほどなく、鐘をつけるところがあるので、ついてみましょう。江戸時代 寛文10年(1670)の鐘です。とてもいい音が鳴ります。

木漏れ日の気持ちのいい道を歩きます。

与謝野 晶子(よさのあきこ)の書斎です。縁があって、没後にそのままこの地に移されました。与謝野 寛(ひろし)、晶子夫妻はたびたび鞍馬寺を訪れて歌を残しています。当時貫主だった信樂 香雲は晶子の直弟子だったとのこと。

遮那王がせくらべ石を山に見てわが心なほ明日を待つかな 与謝野 寛
何となく君にまたるるここちしていでし花野の夕月夜かな 与謝野 晶子
左の鞍馬石に刻まれた文字は、寛氏自身の筆跡だそうです。

寛氏の歌にも出てくる義経の背比べ石です。
牛若丸が約10年を過ごし、いよいよ奥州へ旅立つというときに感慨深く背を比べた石だとされています。

木の根道です。地盤が硬いために地表を這うように根が伸びているところです。根は踏まないよう気を付けて歩きます。

少し歩くと大杉権現社(おおすぎごんげんしゃ)があり、残念ながら樹齢千年というスギは昭和25年の台風で折れたとのことですが、その近くで座って両手を広げ、瞑想している人がいました。大杉苑瞑想道場です。
僕もちょっとマネして木のベンチに腰を掛け、目をふせてじっと耳を澄ましてみましたが、これがなんとも気持ちがよかったです。3分ばかりでしょうか、寝たかもしれませんが、鳥の声や風に揺れる木々の音が心地よく、いつまでもそうしていたい気になる、そんな体験でした。

僧正ガ谷というあたりは謡曲「鞍馬天狗」の舞台のひとつです。
不動堂のほうには、比叡山開祖の伝教大師(でんぎょうだいし 最澄)が天台宗開宗の悲願から、一刀三礼の礼を尽くして刻んだといわれる不動明王が祀られているとのこと。
その向かいにあるのは義経堂です。
奥州衣川の合戦にて自害した義経公の御魂がここへ戻り、遮那王尊として祀られ、魔王尊の破邪顕正のお働きを助けておられるとのこと(案内板)。

ラスト 「魔王殿」です。
護法魔王尊を「鞍馬天狗」と理解されていることが多いのですが、ガイドブックによれば「天狗の総帥」と理解した方がいいとされています。
「太古から宇宙の力が満ち溢れ開山した鑑禎上人や藤原伊勢人をはじめ多くの修行者を導いた(ガイドブック)」そういったエネルギーの象徴が魔王尊として祀られている、そんな風に思われます。

西門を出たら、貴船神社です。
元気のある方はお詣りするとよいでしょう。
僕はへとへとだったので、ここで退散となりました。
<主な歴史>
宝亀元年(770) 鑑禎上人(がんちょうしょうにん)が草庵を結び毘沙門天を祀る。
延暦15年(796) 造東寺司の藤原伊勢人(ふじわらのいせんど)が草庵を堂舎に造り替え、のちに千手観音を造像、併せ祀る。
寛平年中(890前後) 東寺十禅師峯延上人(ぶえんしょうにん)が入山し、鞍馬寺の基礎固めを行う。中興の祖。大蛇を法力でたおし、竹伐り会式(たけきりえしき)の起源となる。
天慶3年(940) 由岐神社が鞍馬寺鎮守として勧請される。
天治2年(1125) 大原の良忍上人(りょうにんしょうにん)が鞍馬に参籠(さんろう)、融通念仏の「神名帳」を授かる。
慶長15年(1610) 豊臣秀頼により由岐神社を再興。
昭和22年(1947) 鞍馬弘教を開宗。
<参考文献>
・「鞍馬山」ガイドブック
・「古寺巡礼 京都14 鞍馬寺」信樂 香仁(鞍馬寺貫主)道浦 母都子(歌人) 淡交社 2007
・「鞍馬寺」 中野 玄三 中央公論美術出版 2003
**みのがしちゃった**
・霊宝殿
・本殿地下の宝殿


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