2024.9.23月
玉造口から入って中を通ってきたので、本来の玄関口である大手口にまわってみました。
大手(おおて)
城の正面。また、城の表門。追手(おうて) (明鏡国語辞典)
この大手門へは外堀を渡ってくるのですが、その橋も石垣で造られた土橋となっていて、微妙に傾斜がつけられているのでとても美しい景観でした。(写真を撮ってませんでした)

左手を見ると、美しい櫓が見えました。特別公開期間であれば中にも入れるそう。
実際にはこの櫓から矢や鉄砲玉が飛んでくるのですから、感心している場合ではありません。
千貫櫓(せんがんやぐら)について
ここが石山合戦の舞台だった頃、同じ辺りに櫓があってそこから放たれる横矢に織田軍は悩まされていた。江戸前期の『武功雑記』という戦記には「難儀した寄せ手衆が、銭を千貫払ってもモノにしたい櫓だ、と口々に話したので千貫櫓と申すようになった」とある。
(「人をあるく 豊臣秀吉と大阪城」跡部 信 著 吉川弘文館 2014 より要約)

なんとか矢をかわして門を突破したとしても、次なる仕掛けが待っています。それが「枡形(ますがた)」と呼ばれる四角い空間。ここに流れ込んできた敵兵は、さらに立ちはだかる巨大な鉄の門に阻まれ足止めを食い、塀の上に築かれた櫓から一斉に攻撃を受けるわけです。

大門の上には渡櫓(わたりやぐら)、さらに枡形を取り囲むように続櫓(つづきやぐら)があり、総称して多聞櫓(たもんやぐら)と呼ばれました。
多聞(たもん)
城の石垣の上にある長屋風の矢倉をいい、走り櫓、多聞長屋ともいう。松永久秀が永禄年間(1558~70)大和(奈良県)多聞城に建造したことからこう呼ばれたという。
(ブリタニカ国際大百科事典 引用)

この渡櫓には三つの細長い穴があり、敵兵が近づくとここから槍が落とされるという仕掛けの槍落(やりおとし)があります。
敵兵の気持ちになれば、一歩も入りたくない空間ですね。


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