2024.9.23月
本丸の南、二の丸のエリアに豊国神社(ほうこくじんじゃ)があります。
8月に京都の豊国神社(とよくにじんじゃ)に行ったばかりですので、とても親しみを感じます。

「豊国」の読み方はそれぞれのガイドブックやサイトに記載されているものをもとにしていますが、全国にある豊国神社も「ほうこく」と呼んだり「とよくに」と呼んだりするようです。
京都のほうは正式名「とよくにじんじゃ」とされていますが、ガイドブックによれば地域の人々からは「ほうこくさん」と親しまれているよう。(どないやねん)
明治期に天皇より再興の御沙汰があって、当初は大阪の地に本社を造営する運びだったそうですが、京都市民の熱願により、京都が本社で大阪には別社を置くことに決着したとのこと。
ちなみに、京都の豊国神社が秀吉公のみを御祭神としているのに対し、大阪の豊国神社は「豊臣秀吉公」、その息子「豊臣秀頼公」、そして秀吉公の弟「豊臣秀長卿」を御祭神としています。
「公(こう)」とか「卿(きょう」とか、ややこしいですね!
公卿(くぎょう)
明治維新以前の公家社会で、中国王朝の三公九卿にならって太政大臣、左大臣、右大臣を三公もしくは公、大納言、中納言、参議および三位以上の朝官(朝廷に仕える役人)を卿といい、合わせて公卿と称した。
(ブリタニカ国際大百科事典より)
さて、玉造口からだと写真の入り口になりますが、もう少し先の大手口側の入口の方がにぎわっていました。

大手口側の鳥居を入る前に、立派な銅像の秀吉公が立っていました。

陽が真上に昇っていたので思いっきり逆光ですが、このシルエットは好きです。
鎧のうえに陣羽織を羽織り、左手は刀、右手に軍配を握っています。
お顔の様子はぜひ現地でごらんください。このお顔が本物に近いのではと、リアルに感じます。

お参りをしてきました。(写っているのは、わたしではありません)
当社は明治天皇が大阪に行幸された際、国家の為に大勲労のあった豊太閤をこの大阪の清浄な地に奉祀する様にと仰せ出され、明治13年、現在の北区中之島に創立された。昭和に入ると隣接する市庁舎増築のため、昭和36年、御祭神にご縁の深い大阪城内へ移転された。
社宝は重要美術品である紙本著色の秀吉像で、伝狩野山楽筆の名品。大和小泉(奈良県大和郡山市)の片桐家に伝来のもの。
その片桐家伝承によれば、大阪城主になった幼少の秀頼があるとき亡き父の画像を見たいと述べ、片桐且元(かたぎりかつもと)がこの画像を持参したところ、秀頼は大変感激して「豊国大明神 秀頼書」としたためた、というもの。
(webサイト「大阪城豊国神社」より「神社の由緒」要約)

京都の豊国神社の絵馬は瓢箪形でしたが、ここは普通の形のようです。
大阪城内にあると、たくさんの人がお参りに来るので、いい場所に鎮座されたと思います。

本殿の右奥には、大正・昭和期の有名な作庭家 重森 三玲(しげもり みれい)による「秀石庭(しゅうせきてい)」があります。阿波(徳島県)産の緑泥片岩(りょくでいへんがん)の巨石を使っているのが特徴です。
あまり人が来なさそうな静かな一角です。


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