2024.9.23月
大阪メトロ中央線の森ノ宮駅を出て中央大通りを渡るともう大阪城公園に入ります。
もちろん、そのまままっすぐ中心へ向かえば天守閣が見えてくるのでしょうが、ちょっともったいぶって公園の森のなかを西へ進みました。
大阪歴史博物館や府警本部のビルが見えてきたところで視界が開け、お堀の緑と長大な石垣が目に入りました。

南外堀(みなみそとぼり)の西側には大手口、東には玉造口があり、石垣は約2kmもあるとのことです。かつては櫓(やぐら)が一番から七番まであったそうですが、明治維新の大火や第二次世界大戦の空襲で大半が失われ、今は一番と六番だけになっています。堀の最大幅は75mもあります。石垣が段違いなのは強度を保つためだそうです。
現在のこの石垣は徳川幕府が根石(ねいし 一番下の礎石)から再築したもので、57家の大名が動員されて1628年(寛永5年)に完成したとのこと。
豊臣期においても二の丸堀、つまり二の丸の外堀として大河のように広くつくられたうえに堀の底から石垣が積み上げられていて、北九州のキリシタン大名 大友宗麟(おおともそうりん)は想像を超えたその工事の様子を書きあらわすことにあたり、「百千万のことを一語で申すようなもの」と表現しました。

六番櫓の下の石垣に、遠目からもわかる穴があいています。ちょうど積み石ひとつを抜き取ったような形です。
これはかつて「真田幸村の抜け穴」などと噂されたこともあるようですが、実際は明治以降に駐留していた旧陸軍のしわざではといわれています。

再び堀沿いを東へ戻ります。とてもきれいな公園です。

一番櫓が見えてきました。櫓は1階中央のところが出っ張っています。これは石垣に張り付いた敵兵に石を投げ落とすためのものです。
しかし、敵の視点にたてばなんとも厳しい櫓です。そもそも櫓は敵の偵察や射撃のためにつくられるものですが、せっかく広い堀を泳ぎ渡って、高さ25mほどもある垂直の石垣をやっとの思いで登ったのに大きな石を落とされて墜落死。なんともやりきれません。
そんな残酷なしくみの1階の出っ張りですが、デザインとしてはとても優れていて、なんとも美しい建物になっているところが、粋な感じでもあります。
これから大阪城東南にある玉造口(たまつくりぐち)を城内へと入っていきます。

内堀の様子はさらに素敵です。古城と近代的なビルとの対比もすばらしいです。
<参考文献>
・「図説 日本の城と城下町①大阪城」北川 央 監修 創元社 2022
・「人をあるく 豊臣秀吉と大阪城」跡部 信 著 吉川弘文館 2014


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